5.おわりに


 さて、これまでハワイの日本語学校の歴史や教育システムを見てきたが、意外なことに、日本国内の教育システムとほとんど変わっていなかったことがわかった。用いる教科書についても、一時的な独自の編纂こそあったものの、現在でも「Hawaii Japanese School」のような学校では文部科学省の定めた教科書である。
 しかしながら、アメリカのハワイという土地では、冷ややかな目で日本語学校が見られてきた経緯があり、日本の歴史とアメリカの歴史の両方を踏まえた独自の教科書を使用した点については、当時の日本国内の教科書事情とは異なるものであった。
 そういった環境のなかで、日本語学校は、日本語はもちろん、歴史や数学を教えつつ、曽我部四郎のように倫理的・生活的な面の指導も行っていた。今日の日本の学校教育が抱える問題の解決の、最大のカギが、それではないかと私は思ったのである。私のこの意見を述べるために、延々とハワイの日本語学校のことについて述べてきたが、多少なりともご理解いただけたであろうか。

 ゼミナール最後のこの論文を書き上げるまでにも、多くの紆余曲折があり、テーマを決める段階から暗中模索とも思えるような状況が続いた。それでもどうにか完成まで漕ぎ着けることができたのは、ゼミナールの仲間同士の励まし合いや、ゼミナールを担当する森島先生、内田先生の御指導、そしてハワイ研修にて大変お世話になったハワイ大学の本田正文先生の御協力のおかげに他ならないと思っている。
 HTMLでウェブページを立ち上げ、ゼミナールの論文を作成して掲載するという試みは困難なことであった。一般に言われている論文とはだいぶ見た目が異なるために、読みづらい部分もあったかもしれない。大目に見てもらえたならば幸いである。


関東学院大学 比較文化学科4年
20814069 諏訪原 大樹




6.参考文献

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