用語「A・F・ジャッド(Albert Francis Judd)」



 ハワイ・ホノルル市のガーデアン・トラス会社副社長。
 第一次世界大戦後に高まった「欧化政策」(米化政策)の機運のなか、ハワイ各地で拡大していく日本語学校に対する危機感を抱いたことで、「ジャッド案(ハワイ県の米国市民を保護するため、学校教員に要する資格を規定する法律」を起草した。
 この案が英字新聞に掲載されたことが引き金となり、その後も数名のアメリカ人有識者によって、日本語学校・日本語教育を規制しようとする法案がハワイ県会に提出された。

※「ハワイ日本語学校教育史」小沢義浄著、ハワイ教育史、1972年、P.85〜P.88を参考。
※「五十年間のハワイ回顧」相賀安太郎著、「五十年間のハワイ回顧」刊行会、1953年、P.338〜P.339を参考。