研究テーマ決定

「ハワイにおける日本語学校と日本の学校の相互比較−歴史と教育システムから」



この研究はアメリカ合衆国のハワイに存在した「日本語学校」が、どういった敬意で作られ、
日本の学校やハワイのほかの学校と何が異なるのか、当時のアメリカ人の反応はどうだったのかを、
教育システムや学校の歴史といった観点から調べていき、今日の日本の教育に活かせることはあるかどうかを探っていく。

今、日本における教育事情は大きな時代の変化の中にあると、私は思っている。
いじめ・インターネット上の学校裏サイト問題や、いわゆる「モンスターペアレンツ」と呼ばれる生徒の保護者の問題、
さらには教師のモラルが問われるような事件も起きている。

その中で、たびたびニュースにもなっている『愛国心教育の問題』について、私はこの論文内での相互比較を通して、
見えてくることが何かあるだろう、と思っている。



1868年(明治元年)に、出稼ぎ労働者としてハワイに渡った日本人移民(一般的に「元年者」と呼ばれる)、
1885年(明治17年)以降「官約移民」としてハワイに渡った日本人移民たちは、現地で家庭を持ち、子ども(日系アメリカ人二世)を産んだ。
日本語を用いていた移民(日系アメリカ人一世)に対し、現地の教育機関で英語やハワイ語を学んでいた子どもたちは、
『日本語と英語とハワイ語を混ぜて使用』していた。次の文章は、その一例である。


官約時代の移民中大部分の者は学校教育を受けていない無学文盲で文字の読み書き出来る者はきわめて少数であった。
この移民の人たちがハワイに来て初めに困った事は手紙を書ける人を探す事であった。
又この移民の人たちは日本各地から募集されて来た者で、関東、東北、関西、九州と、その語る言葉を方言で話し
互いに通じないため、自分の出身地の者同志が寄り合って、お国訛りの放談をするのであった。
こうした社会に育つ子供は大体は親の言葉を中心にして色々な方言を覚え、それに、子供には人種国境はなく、
ハワイ原地人、支那人、白人など同じ所に住む各国人種の子供と交じって、相手の言葉を敏感に受け取って、
互いに自分の意志表示をする。ここに子供の社界の生活語がつくられる。

「パパ、ハナ・ハナ。ハウス・オラン。」
パパは英語Papa。ハナ・ハナはハワイ語Hana hanaで仕事。ハウスは英語house。おらん(・・・)は日本語のいません。
「お父さんは仕事へ行って、家にいません。」

この子供の生活語を一国語だけ話す人が聞いた時は異様に響くのであるが、
日に月に伸び行く子の言葉を聞く親は、この子らにあたりまえの日本の言葉が話せるように
教えてくれる人はいないものかと思うようになった。
(「ハワイ日本語学校教育史」ハワイ教育史 1972年 小沢義浄著 p.15より引用)


こういった一世の意識のなかから、「日本語学校」が誕生してきた。
「日本語学校」の目的は、一世の親と、二世の子どもが日本語で会話できるようにという親の願いがこめられていた。

やがて「日本語学校」は、日本語だけでなく、算数や日本の歴史、修身(現在の「道徳」「倫理」)も教えるようになっていった。




テーマを変更したため、ただいま編集中です・・・。



戻る